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【前編】BANA a.k.a DADDY B-ただ曲だけを誰かの元に

2016/07/24

BANA a.k.a DADDY B(東京・ラジオDJ/MC/Selector)

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ラジオを自己表現の場とするBANA。曲を使ってストーリーを紡ぎ、誰かの耳と心に届ける音の語り部である。
いわゆる演者だけとは一線を課すその活動の軸となるものは、いったい何なのか。これまでの歴史と、ライフワークのストーリーに迫った。

BANA a.k.a DADDY B
東京都出身。ラジオDJ/MC/Selector。ラジオ、テレビ、クラブシーン、インターネット等幅広い媒体で活躍する選曲者。特にレゲエシーンでは電波代表として活躍中。

 

子どものころから音楽に触れ、ストリートミュージックに傾倒

リスナー時代を経て、"選曲""音楽を誰かに届けること"に興味が生まれた

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-音楽と出会ったきっかけを教えてください。
「3歳からアメリカに住んでいたんだけど、隣に住んでたお姉さんが、イギリスのロックグループLED ZEPPELINの曲を聴かせてくれたことがあって。
10歳くらいの頃かな、それが音楽を意識したきっかけかな。

小学6年の時に帰国して、半年間だけ学校に通ったんだけど、なんせ日本の子ども文化が分からないから話に入っていけなくて。
テレビを見てアイドルを知って、中森明菜にハマったりして(笑)。中学2年くらいまでは、そういう日本の音楽文化に楽しく触れてたりしたよ。

それからビルボード・チャートや、洋楽邦楽の全体的な流行なんかに興味が移行した。
ポップスやロックを聴いていた流れからヘヴィメタに興味が移って、中学3年の頃友達と一緒にどっぷり浸かったね。
VAN HALENとかRATT、IRON MAIDENとか、アメリカとイギリスのバンドを中心にずい分聴いたよ。

その後1986年かな、高校2年くらいの時にRUN DMCがカヴァーしたAERO SMITH[WALK THIS WAY]を聴いて、音の好みが完全に変わった。
友達でもBEASTIE BOYSとかPUBLIC ENEMYとか、HIP HOPを聴き出す奴が増えて。
Def Jam(※1)全盛期のブラックミュージックにハマって、ストリート発信の音楽ってものに刺激を受けまくってた」

 

"曲を選んで誰かに届ける"ことが好きだ、と自覚した20歳のころ

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-深い音楽ファンから、選曲する人にシフトしたのはなぜですか?
「高校を出て大学に通いながら、ヴァージン・メガストアーズ(※2)の新宿店で店内放送DJとして働いていて、お店で取り扱ってる音楽を選曲してラジオのように紹介しながらプレイしてたんだ。

もともと中学・高校時代には、自分の好きな曲を好きな順番でまとめるってことに特別な興味を覚えてたんだけど、ここで、曲をかけて、曲に合わせてしゃべるっていうことを始めて体験した。

同時に、"曲を選んで誰かに届ける"ことの面白さが分かって、俺が好きなのはこういうことなんだって自覚したんだ」

-自覚する際に、特に印象に残った出来事はありましたか?
「お店の意図した曲を戦略的にかけることも多かったけど、自分が好きな曲をかけているときに、お客さんが目の前でそのCDを手に取って買ってってくれるっていう行動を見たことかな。
すごく誇らしい気持ちになれたのを覚えてる。

バイトの女の子たちにも『いい声してるじゃん』なんて言われた嬉しさもあって、そうやって、自分が持ってるものを評価される喜びを知ったんだ」

-自分の選んだものを誰かに伝える、という楽しさを、DJを通して知ったんですね。
「そうだね。面白い曲を聴けば、広い視野で先入観なく音楽を買う人が集まる環境に居られたことは大きくて。

自分が選んだ曲で、人の心が動いた瞬間を目にすることができることと、曲がかかっている瞬間に流れる空気を共有できることとかが、俺にとってすごく嬉しいことだし、きっとラジオDJ活動の原点なんだよね。

そうやって、自分で選曲仕事の面白さを見つけて体感していくうち、もっとラジオDJをしたいと思う気持ちが強くなっていったんだ。

で、ある人に『ラジオ局に音源を持ち込んでみたら』というアドバイスをもらって、有線ラジオ放送局のFM BANANA(※3/下記写真は現在の跡地)に応募してみたんだ。ヴァージンでやってた事をそのままデモ・テープに録音して。

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そしたら嬉しいことに、レギュラーDJの代役として起用されたんだ。
代打だったけど関わっていくたびにラジオのことがどんどん好きになっちゃって、もっと突き詰めたくて大学を勝手にやめて(笑)。

それからは本当に、ラジオ人生の始まりだね」

有線通信…電線や光ファイバーなどの"線"を使う通信のこと。FM BANANAは有線ラジオ放送局。
無線通信…"線"を使わず、公共の電波を使う通信のこと。ラジオのFM放送なども該当する。

 

レゲエで衝撃を受け、ラジオ番組を任されるようになるまで

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『パトワを喋れるようになりたい』、1本のテープが自分を変えた

-FM Banana時代は、すでにレゲエに出会っていたんですか?
「当時はレゲエは全く一般的じゃなくって。俺もそんなに意識してなくて、BUNNY WAILERとかEDDY GRANTとか、広域的なものを耳にしてたくらいだった。

でもある時、FM BANANAへの出勤途中にあった竹下通りに出てた露店で売っていた[US FM station]というブート(※4)のカセットテープを手に入れて聴いてみたら、すごく面白くて。
レゲエの魅力に気づいちゃったんだ。

そのテープは、NYにあったラジオ局WNWKの番組「ザ・ギル・ベイリー・ショウ」って番組を録ったものでさ。
パーソナリティがパトワ(※5)を喋っていたんだけど、半分は何言ってるかわかんない(笑)。
でも初めて耳にしたその喋り方が、すごく面白くてね。
方言に生まれて初めて出会ったようなカルチャーショックで、魅力的で……取りつかれたよね。

俺もこのパトワを喋りたい、モノにしたい、と思って、ウォークマン(※6)で1日中聴いてた。
それこそ、テープが擦り切れるほどに、何百回聴いたか分からないくらいにね」

-最初は”しゃべり”から入ったということなんですね。曲の魅力はいかがでしたか?
「もちろん、興味深かったよ。
世界的にヒットしてる曲ばかりではないんだけど、PINCHERSやSUPER CAT、LLOYD PARKSあたりが入っていたかな。

俺が今まで聴いてきた曲とは違った奥深さがあって、しゃべりと曲の魅力に病みつきになって、どんどん好きになったの」

-その頃は、レゲエの知識をどのように身に着けていたのでしょう?
「ちょうど90年代前半で24歳くらいだったかな。恵比寿のクラブCOLORSで、初めてクラブDJとしてプレイする機会があったんだ。

そこのレギュラーDJだったSelectorのOKAJUNさんや、後にイベント開催絡みで一緒に組んでいたDeejayのMINIDON(※7)にいろいろ教えてもらってたかな。

DJプレイするためにレコードを増やしたいと思ってたから、お金ないのに丸井でキャッシングしてさ。1日で満額分のレコードを買ったり(笑)。
ダンスホールっていう概念にも出会ってどっぷりハマってたし、お金があればレコードにつぎ込んでたなぁ。

ジャマイカ的にはダンサーの故・BOGLE(※8)がすごい活躍していて、レーベルでいえばMAD HOUSE(※9)が流行期でBUJU BANTONとかWAYNE WONDERが売れ出したころだね」

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-その頃、ラジオ仕事はどのような局面を迎えていましたか?
「91年からは【Plan B】というレゲエ番組を担当して、5~6年やらせてもらってたかな。
でもレギュラーではなかったから、自分だけのレゲエ番組をやりたいって思いを強く持ってたよ。

その後、ラジオの制作会社を経て、公共の電波を使う無線ラジオ放送局、InterFM(※10)に移ったんだ。
制作やAD(※11)仕事を経て、開局当時のDJ登竜門的な時間【Just Try It】でレゲエの番組を担当したり、小林克也さん(※12)や宇治田みのるさん(※13)などの番組で携わらせてもらったり、いろんなモノゴトを経験させてもらった。

でも、自分だけのレゲエ番組を持ちたいっていう願いは変わらなかったんだ。

そして98年。チャンスが巡ってきて、レギュラー番組【Daddy B's Bassment】をInterFMで始めることになったんだ。

これは生放送のライブ・ミックス・ショウと銘打って、始めたころはクラブ・ミュージック全般を選曲していたけど、のちに完全レゲエ番組になったよ。
公共の電波でレゲエ番組を持てるなんて、俺にとっては喜び以外の何物でもなかったな。

その頃、番組にゲストで出てくれたMIGHTY CROWN(※14)と出会って、ラジオってフィールドをベースにともに動くことが増えたんだ。

その後、MIGHTYと一緒にレゲエ番組をやるようになって、2002年からはJ-WAVE(※15)【Vibes Camp(現在は終了)】、2003年にはFM Yokohama(※16)で【BAY SIDE REGGAE LOUNGE】(※17)を彼らと一緒にやってるよ。
このあたりの番組等から、ミックスCDの制作やMC仕事が発生するようになって、今に至ってる」

 

感覚を生かして選んだ曲を、誰かに届けることがライフワーク

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今の自分に甘んじずに、一生かけて、選曲のセンスを磨きたい

-BANAさんの音楽愛は、つまり、選曲なのだと感じます。BANAさんにとって”曲”とは何ですか?
「仕事では、曲は消費するものじゃなくて、目的をもって使わせてもらうものかな。
誰かが一生懸命作った作品をかける方の人間だからこそ、俺は絶対にいいと思えるものしか選べないし、かけられない。

俺にとってのいい曲というのは、聴いたときの感覚ももちろんあるけど、あの時間帯でかけたら面白いとか、あの状況のあの箱でかけたいとか、そういうシチュエーションが何パターンも浮かんでくるものなんだ。
感性を刺激してくれるような、やりがいのあるものなの。それはレゲエだけに留まらずにね。

だから、曲を買うっていう視点ではジャンルでカテゴライズしたことないね。
フロアにお客さんがいない時用に買った曲もあれば、一人か二人の耳に残ればいいって思いを込めてかけた曲もある。

これまで感銘を受けた曲はもちろんだけど、新しい曲を聴いて、刺激を受けることもまだまだ好きでさ。
そういう好きなものを、自分の感覚を生かして選んで、誰かに届けたい。

それが俺にとっての“選曲する”ってことかな。一生続けると思う」

-無数にある曲から選ぶことには、センスありきだと感じます。どのように磨いてきたのでしょうか?
「テクニックは大前提として、更に上の領域に行くために必要なものはセンス然り、感性も必要だと思ってるんだけど、それって自分を鍛えるしかないんだ。

俺はこれまでいろんな人と出会っていいものを取り入れられる環境にいたから、それに甘んじることなく、技や知識や目線を努力して学んできたつもりだよ。

鍛え方として”これとこれを一緒にかけると引き立つ”、っていうパズルに、俺は馬鹿みたいに挑戦してきたんだ。

新しいレコードを買うたび『この曲をどう生かすか』『どうかけたらいいか』『どのようなシチュエーションで針を落とせばいいのか』ってのをひたすら考えて、一つ一つ練り上げてきたんだ」

-考え抜くことこそ鍛錬には重要なのですね。実際の現場では、定めたパターン通りにプレイを?
「例えばクラブのプレイでいうと、HALF PINT [Greetings]の後にかけるにはSUPER CAT[Under Pressure]が一番いいわけね、自分にとってもお客さんにとっても。
それが王道の運びでもあるんだけど、でも試しにPETER METROとかFRANKIE PAULを挟んでみたり、工夫することがある。

で、やってみてフロアの反応を見て『んーやっぱSUPER CATだよね~』って実感したりね(笑)。ああ俺、実力不足だ……って凹む失敗とかもいっぱいあったなぁ(笑)。

でもそういう時って曲は悪くなくて、完全に自分の実力が足りてないだけなんだ。

挑戦をして、MCやかけ方の出来の悪さを受け止めて、感覚と思考を磨いていくっていう繰り返しをすることが大事だし、これからも自分に課していきたい。

できないことを人のせいにしたことはなかったからこそ、今、音楽で食べていける一人でいられていると思うから」

-現場のプレイでもダブ(※18)で主張するというより、曲をフロアにストレートに届けるスタイルですね。
「俺、あまりダブを録らない人なんだ。
持っているものは10年くらいかけ続けてて好きなものばかりなんだけど、絶対的な量の少なさとか、そこに重きをおけない自分のレゲエ観にちょっと悩んだこともあって。

でもある時、DAVID RODIGAN(※19)にインタビューした時に(※20)「ダブも大事だけど、まずは曲を知ることのほうが大事。ダブありきではなくて、まずはチューンから」って言ってたことを聞いて、実際、気持ちが救われてさ。

”好きな曲に忠実でいい、新譜が出たら誰よりも先にかけたいって思いを持っていていい”、って肯定されたように感じた。

まぁもっとダブを録っておけばよかったかもって、思っている部分も実はあるんだけど(笑)」

情報が多すぎる世の中だからこそ、共有するのは曲だけでいい

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-現場やネットなどに比べ、電波だけの場合はレスポンスが見えにくいのでは……と感じます。それでもラジオにこだわる理由は?
「ラジオは、相手が見えない分、こっちのことも見えないじゃない?
お互いの状況が分からない中、情報はただ音だけ、すごくシンプルでそれが俺にはよくって。

単にお店のBGMと同じ感覚で聴いてもらっても構わないし、向き合ってしっかり聴いてもらうのも嬉しい。
素っ裸でだらしない格好で聴くのでもいいもんだし(笑)。

今はネット社会だから、SNSのいいね数やRT数なんで、好意が数値化されやすいでしょ。
確かに、数字を伸ばすことは、音楽を生業にする以上は取り組まねばいけない努力だよね。

でもそういうの気にしすぎると、いい曲をというよりは数字を狙う選曲になっちゃうから俺は好きじゃなくて。

俺は、『番組、聴きました』『あの曲、印象に残りました』っていう声の数こそ、俺の仕事を評価してもらえてるものって思ってる部分もあるから、特に」

-込み入ったものを求めやすい社会だからこそ、シンプルなものの貴重さが引き立ちますね。
「情報を足していくのは簡単なんだ。
けど、俺は余計なものはそぎ落として、曲だけを伝えたい。

だからかな、たまたま何時何分にダイヤルを合わせたら、たまたまその曲がかかっていた、っていう、運命的なライヴ感の共有にこだわりたい。
電波の向こうには、誰かがいる。共有する情報は音だけでいいと思ってる。

過去のラジオ音源をMix CloudにUPすることもあるけど、それはあくまでアーカイヴとしてっていう位置づけかな」

 

>>インタビュー後編は、近日公開予定!
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(※1)Def Jam/Def Jam Recordings。1984年にアメリカで設立された、HIP HOPとR&B専門のレコードレーベル
(※2)ヴァージン・メガストアーズ/イギリスのヴァージン・グループによる大型CDショップ。日本では1990年~2009年にわたり展開。
(※3)FM BANANA/原宿にあった有線ラジオ放送局。北海道と沖縄以外の全国で放送していた。現在は閉局。
(※4)ブート/海賊盤やコピー盤など、非正規音源の総称。ブートレグ、ブート盤とも呼ぶ。
(※5)パトワ/英語とアフリカ語をベースとしたジャマイカ・クレオール語の呼び名の一つ。ジャマイカで日常的に使用されている。
(※6)ウォークマン/ポータブルオーディオプレーヤーの一般名詞で、80~90年代はカセットテープ再生メディアの総称だった。
(※7)MINIDON/ジャパニーズレゲエシーン黎明期より活動するDeejay。
(※8)故・BOGLE/ジャマイカのスター的存在だったダンサー。BLACK ROSESというギャングのリーダーでもあったが、2005年に銃撃され死亡。
(※9)MAD HOUSE/ジャマイカの音楽レーベル。90年代ダンスホールシーンの中核的存在であった。
(※10)InterFM/音楽の中でも洋楽をメインに展開する無線ラジオ放送局。InterFM897。
(※11)AD/アシスタントディレクター。番組制作のすべてに携わる。
(※12)小林克也/1970年からラジオ界で活躍するラジオDJ、ナレーター、俳優。
(※13)宇治田みのる/幅広いメディアで活躍するDJ、音楽プロデューサー、ラジオパーソナリティ、サーファー。
(※14)MIGHTY CROWN/国内レゲエシーンの中核的存在である、日本を代表するサウンド。
(※15)J-WAVE(81.3)/東京のFMラジオ放送局。
(※16)FM Yokohama(84.7)/横浜のFMラジオ放送局。神奈川県全域で聴くことができる。
(※17)BAY SIDE REGGAE LOUNGE/MIGHTY CROWNとBANAがパーソナリティを務めるレゲエ専門プログラム。FM Yokohama(84.7)にて毎週土曜24:00~25:00。
(※18)ダブ/サウンドが自分たちのためだけにアーティストに特注した曲を指す。「ダブ」「スペシャル」「仕込み」等とも呼ばれる。
(※19)イギリスのBBCで現在もラジオDJとして活躍するレゲエ史家であり、1980年代から活躍する世界的なサウンドシステム・セレクター。
(※20)インタビューした時/BANAはその語学力の高さから、海外アーティストのインタビュアーとしても活躍している

 

BANA a.k.a DADDY B
東京都出身。ラジオDJ/MC/Selector。ラジオ、テレビ、クラブシーン、インターネット等幅広い媒体で活躍する選曲者。特にレゲエシーンでは電波代表として活躍中。
●official twitter  @banadaddybana
●official Facebook  Bana aka Daddy B
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