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【前編】JUN/BANTY FOOT-自分の本気に応える環境を、模索し続けて

2016/07/21

JUN/BANTY FOOT(名古屋・サウンド)

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いまや東海になくてはならない存在に昇華したBANTY FOOT。広い視野と思考を持ち、音楽を伝え広めながら、道を開拓するサウンドである。
フロントマンを務めるJUNに、これまでのストーリーと、これからのビジョンを尋ねた。

JUN/BANTY FOOT
愛知県名古屋市出身。MC/Selector。2001年に名古屋にてBANTY FOOTを結成。レゲエシーンで着実にキャリアを築きながら、現在はラジオやCD、フェス、クラブイベントなど様々なアプローチからレゲエを広める活動を行っている。

 

「カラオケ」「メロコア、スカコア」から始まった音楽人生

アングラ音楽に心が揺さぶられ、これまでの概念が一転

-音楽に興味を持ったきっかけは何だったんでしょう?
「10代のころは音楽に対する興味が全くなくて、音楽=カラオケで歌うものってくらいの認識だった。

Jリーガーになりたくて小中高通じて真面目にサッカーをやってたから、音楽を深堀りするっていう発想も時間もなかったし、遠征時にバスの中で聞くために選んだCDも、安室奈美恵さんとか、いわゆる手に取りやすいJ-POPしか知らなかった。

高校1年まで、そういったきれいで優しい曲しか聴いたことがなかったんだけど、ある時、部活の先輩がハードコアやメロコアの存在を教えてくれたんだよね」

-その時初めて、アンダーグラウンドミュージックに触れたんですね。
「うん、生まれて初めて、音楽で揺さぶられた。
演奏やシャウトの男くささや、音程を気にせず畳みかける歌い方の荒々しさ。CDの音質だってJ-POPと比べるとノイズが多い。

でも、耳触りの良さで聴かせない音楽性にくらっちゃって、これまでの音楽というものへのイメージが粉々にされたわけ。Hi-STANDARD、Brahman、BACK DROP BOMB、POTSHOT、SNAIL RAMPなんかを遠征前に良く聴いてたね。
今考えると、バイブス上げてたんだと思う(笑)」

 

これまで"音楽"に抱いていたイメージが壊され、どんどん興味を持った

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-そこから、レゲエに出会ったきっかけは何でしたか?
「結局、選手になるって夢は叶わず、勤めながらでもサッカーが続けたくて高校出てから就職したんだけど、社会人になったことで練習に集中できなくなって、プレイヤーとしての熱が冷めちゃって。

熱中していたものを失って毎日をつまらなく過ごしてた時に、例の先輩とたまたま遊ぶことになって、その時に車の中で流れてたのがHIPHOPとレゲエのミックステープだったんだよ。

MOOMINさん(※1)の曲が流れて、『え、これR&Bみたいだけどレゲエなの!?』ってなって、頭の中で勝手に出来上がってたアップテンポなレゲエ像が崩れて、面白かったんだよね。それがレゲエそのものとの出会いかな」

-聴き始めてからは、どのように情報収集を?
「先輩からミックステープをもらっていろいろ聴いていった。RED SPIDER(※2)とJAM MASSIVE(※3)のクラッシュ音源(※4)やMIGHTY CROWN(※5)の[LIFE STYLE RECORDS COMPILATION VOL.1]があって。いったいこの音楽は何なんだ、内容はよく分からんけどいろんなのがあって面白いな! って驚いた。

これまで聴いてたのは一曲一曲が独立してるアルバムCDばっかりだったわけじゃん。
でも『これは音楽かかりっぱなしで止まんねーな、ライヴ音源のはなんか喋っとるし、流れも止まらんな』とか、ミックステープから聴こえる世界にすごく興味が湧いたんだよね」

-ダンスなどの現場にも通いましたか?
「そうだね、初めて行ったのはMIGHTY CROWNが名古屋に来た時のダンス。
いざプレイを見たらHIP HOPのDJとは音楽を伝えるアプローチが違うし、そもそも知らない曲ばっかりかかるし、知らないことだらけで『何だこれ!』って衝撃をうけた。

それで翌日にLION MUSIC DEN(※6)に行って、初めてミックステープを買ったの。
ちなみにラヴァーズ(※7)が好きでさ、ライヴ音源じゃなくて、ラヴァーズ企画のミックステープばっかり集めてたよ」

-価値観がここでも壊されたわけですが、他にはどんな現場が印象に残っていますか?
「その1か月後にあった、First DESIGN(※8)の5周年ダンスだね。いろんなレゲエアーティストやサウンドのプレイを見た。で、おれがくらったのはRED SPIDERだった。

まず一人でレコードを回しながら喋ってた。で、非常に口が悪い(笑)。
ダブ(※9)っていう概念を初めて理解したのもJUNIOR君(※10)のプレイでだったんだけど、彼がターンの1曲目にかけたTERRY LINEN[Your love is my love]がダブでさ、『全部電気消してライター照らせ!』ってMCしてて、会場もその通りになるわけじゃん。その光景がすごい印象的で。

音楽を思い切り表現するために、あらゆる方法を使いこなしている人がいる、っていう世界にシビれたね。そこでがっちり惚れて、ハマった」

 

2001年、BANTY FOOTを立ち上げてからの歩み

-シビれるような体験を立て続けに経ましたが、サウンドに挑戦するまでのいきさつを教えてください。
「JUNIOR君のプレイを見た次の日にまたLION MUSIC DENに行って、初めてレコードを買ったのね。TERRY LINEN[Your love is my love]の7インチ。

その後も毎週ROCKERS ISLAND(※11)でレコードを買い続けて、知識が増えるごとにどうしても自分でもやってみたい気持ちが抑えられなくなって。
おれのなかで既にレゲエは、サッカーへの情熱を失って以降、初めて熱中できるものになってたの。

そしてとうとう半年後、2001年にツレを誘ってBANTY FOOTを立ち上げたんだ。

当初のメンバーは5人いて、おれはMCはやりたくなかったからセレクター担当(笑)。
自分たちで箱を借りて、お客さんを呼んで、好きな曲をかけて、しばらくはパーティ形式でプレイしてた。

で、ある時、元First DESIGNのHAYASSEN君(※12)がおれらのイベントにたまたま来ていて声をかけてくれて、後日、レギュラーダンス【DANCEHALL STREAM】のアーリーをやらないかって誘ってくれたの。

そのオファーにめちゃめちゃ上がってさ。全力でやり遂げたくて、喜んで引き受けさせてもらったんだ。
うん、おれの本当のサウンドデビューはここだったね」

-抜擢を受けた形でしたが、プレッシャーはありましたか?
「先輩たちと一緒にやらせてもらえること、時間帯がアーリー(※13)であること、お客さんがまだいないフロアでプレイすること… 選曲やMCについてこれまでとは考え方を変えたし、サウンドとしての基本に直面したよね。

盛り上がってるダンスだけじゃなくて、よそのレギュラーダンスに早い時間から行って、アーリーの流れや空気感を学んだりさ。

おれ、あまり酒に強くなくて普段も飲まないから、現場に行っても先輩たちのプレイを理解しようとするとか曲を知るとか、常に"学ぶ"ってスタンスでいたんだ。

あのサウンドはこの曲の後にはこれをかけて、こういうMCをするっていう癖も全て頭に入ってた。昼間に働きながらだったけど、好きなことに熱意を傾けられる状況が、すごく楽しかったよ」

-"演者"としての意識が育つ中で、次にとった行動はなんでしたか?
「そのうちClub RADIX(※14)やDIAMOND HALL(※15)のダンスでアーリーに呼ばれることも増えて、業界の広さや状況が分かってきた。

するとサウンドとしての具体的な行動指針を考えやすくなったし、狙った目標をクリアにしやすかったりと状況が整いはじめたんだよね。
だからこそサウンドとしてするべき準備をいつでも万全にしておきたくて、23歳の時に初めてジャマイカに行ったの。

レゲエに携わる以上、本物に触れたかったし、ダブも自分たちで録るっていう責任を担いたかったしね。
会社に嘘ついて有給2週間とったわ(笑)」

-初めてのジャマイカは、どうでしたか?
「キングストンはすげえ刺激的で、濃厚だった。空港ついてすぐサンダースっていうホテルを紹介されて向かったら、そこにJUNIOR君や、INDEPENDENTのJUNYA君(※16)、GOKI君(※17)とかがステイしててリンクさせてもらった。

JUNIOR君はおれの憧れだからさ、緊張しちゃってろくに話せなかったけどね! こういう、現地で誰かと繋がれるっていうのを体験できたのは良かった。

ダブ録りの際は自分たちでスタジオを回るから、エンジニアやアーティストと空気を共有できたのも良くて、例えばSUGAR MINNOTはレコーディングブースで録ってる最中もバイブス高くて、マイクの音量が割れとるのに『どうだ、すごいいい曲だろう!』みたいなアプローチしてくるの(笑)。

そういうジャマイカ人独特の、年齢とか遠慮を超えたテンションの高さにもくらったね。まだ日本人も少なかったし、自分がサバイブしている感じも嬉しかった。

録ったダブは全てファウンデーション(※18)だったよ。当時はDIWALI(※19)がすごい流行ってたからブランニュー(※20)のも欲しかったけど、実利を取って使う機会が多いものばかりを録ってきた。
アーリーでダブかけたら格好いいかも、っていう目論見もあったけどね(笑)。

あの頃ってダブプレートを10inch(※21)のレコードに落としてたから、ARROWS(※22)でカットした10inchも嬉しくてねー。

なんせ、24時間レゲエに全て使えるっていう体験も初めてだったから全てが良かった。
でもおれ、日本に帰れば会社員だったからさ。
思うように動けない環境にちょっとストレスを感じ始めてたりもしたんだ」

 

クラッシュ参戦を重ねながら歩んだ、全国への道のり

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初めてのサウンドクラッシュ(※23)参戦を前に行った、レゲエへのコミットメント

-帰国してからすぐに、クラッシュのオファーが届きましたね。
「2004年にサウンドクラッシュ【ROAD TO TUFF ONE(@ Club RADIX)】出場の声がかかった。これはARSENAL JAPAN(※24)とDESIGNが出るクラッシュ本選に出場できる権利をかけた、予選の45クラッシュ(※25)で、おれは当然、優勝する気でいたの。

でも相方に『本業をキープして、いつレゲエを辞めても生きていけるような覚悟の甘い奴が、クラッシュで勝てるかよ』って言われてね。

当時のおれはまだ大企業で働いていて、仕事さえすれば稼いでいける状況だった。相方に言われて改めて、保険を捨ててレゲエに打ち込まないといけない段階に来てるって思ったんだよね。
背水の陣じゃないけど、レゲエにコミットメントして甘えを払しょくしたかったし、クラッシュで勝てば道が拓けるって予感もあった。

だから、後先考えずに勢いで辞めた。今考えるとただの若さだけど(笑)。

でも24時間を全てレゲエに使える状況と、自分の本気に応える生活環境は、自分で作るしかないからね。名を上げたいって願ってたおれには当然の選択だった」

-初クラッシュを前にして自分を追い込んだわけですが、事前準備はどのようなことを?
「それがね……いざ会社を辞めて、3か月後のクラッシュに向けて準備しようとした矢先、いろんな事情でメンバーが抜けて1人になっちゃったんだよ、おれ。
通常のプレイでもほとんどMCしたことないのに(笑)。仕事辞めたし、メンバーいないし、MC経験ないし、正直言って状況も気持ちもきつかったよね。

でも1人だからって絶対負けたくないじゃん。やるしかないわけ。
だからこれまでのクラッシュのテープ音源を、ありったけ聴き込んだ。

曲をヒアリングしまくって、MCの言い回しをかたっぱしから頭の中に詰め込んで、当日までほとんど寝ずに猛勉強した。
ターンの構成、曲の組み立て方、それに対する返しなんかを何パターンも想定したね」

-45クラッシュの場合、準備の仕方や心づもりなどは通常のクラッシュと比べて異なりますか?
「通常のクラッシュはメインの武器がダブだから、対戦相手のダブボックスの中身をある程度は想定できるんだ。
けど45クラッシュの場合は世の中にリリースされている全てのレコードが武器になるの。

しかも45クラッシュだとエントリーしているサウンドは若手(※26)も多くて、曲とMCをミスってるやつがいっぱいいる。
『それタイトルにWarってついてるけど、実はギャルチューンだよ!』みたいな攻撃をきちんと返すこと考えると、知識はどれだけあっても足りない。

初参戦なりに、これでもか、ってくらい準備はしたつもりだったけど、当日はめっちゃ緊張したねー。でも、ほぼぶっつけ本番だったにも拘わらず優勝できたんだ。

一人になったおれが勝つって見込んでた人はほとんどいなくて、ARCH君(※27)にも『絶対にお前は優勝せんと思っとった』って言われたくらい(笑)。

とは言え、まだまだ名古屋エリアでの評価しか得られなくて、県外営業はなかなか増えなかったんだよね。全国への道の険しさを実感し始めたのも、この頃だった」

 

クラッシュ参戦、作品リリースを経て気付いた、自分の本当の役割

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自分が辿り着きたい場所を探して、悩み、努力を重ねた

-活動を全国区へ広げるために、どのようなアプローチを?
「2006~2007年頃かな、東海ではARSENAL、東京だとBURST RISE、大阪ではBARRIER FREE、FIRE WORKS、RODEM CYCLONE、広島はESSENCEあたりがほぼ同世代で名前が知られてて、各サウンドそれぞれのエリア外営業も多かったんだよね。

で、その世代終結型のサウンドナイトが大阪BAYSIDE JENNY(※28)で開催された事があったんだけど、BANTY FOOTは呼ばれなかったの。

今なら、おれの評価がまだ足りなかったからだって分かるけど、当時は悔しくて悔しくて。
『おれ、やっぱりだめなのか!』って悩んで、でもどうしたら現状を打破できるか分からなくて、ARSENALのOG君(※29)に相談しにいったのね。

OG君からは『お前にはスキルがあるし、プレイスタイルも確立してるから全国でも通用する。ただダブプレートの量が足りない。もっと増やしてミックスCDをリリースして、全国で名を流せ』っていう回答をもらってさ。

で、その3か月後に借金してジャマイカに行って、200万使ってダブを録りまくって、オールダブプレートのミックスCD[STREAM Vol.1](廃盤)を出したんだ。

ミックス音源はお店で買うのが主流の時代だったから[STREAM Vol.1]も全国にいきわたって売れてくれて。
知名度を上げるためにミックスCDを活用した事で、名古屋エリア以外のブッキングもかなり増えた。売上でまたジャマイカに行ってダブを録って、[STREAM Vol.2] (廃盤)も出すことができた」

―それに伴い、クラッシュへのオファーも増えましたね。
「うん、そうやって自分がやることを粛々と続けていく中で、2007年にサウンドクラッシュ【仁義なき戦い 2K7(@広島China Town)】のオファーが来たんだ。

この時の仁義は、BURST RISEが二連覇をかけて出場する事が決まっててさ。BURSTはこの頃既にクラッシュを期待されているサウンドの一つだったし、そのDINGO君(※30)と戦える! と思って燃えたね。

だから自分ができる精一杯の準備をして、モチベーションもものすごく高く保って挑んだんだ。
でも、負けてさ。悔しくてマジで泣いた。このクラッシュは音源化してCDでリリースされてるんだけど、今でも1回も聴いてない。

敗因は、DINGO君のMC力が予想以上だったことと、おれがしっかりコントラクション(※31)できなかったことだね。

彼は、相手の攻撃ポイントを定めて、オーディエンスに響かせながら巻き込む力が圧倒的でさ。
サウンドクラッシュっていう雰囲気の扱い方や勝ちどころの押さえ方、Tune fi tune(※32)の捌き方っていうセンスがあった。
MC力の有無や、トークスキルのレベルとか冷静さとか、そういう部分で完敗だったね。

ダブや選曲は遜色なかったと思うけど、おれのMCは勢いだけで相手をディスするだけのやり方だったし、完全に冷静さを欠いてた。
熱量を放ちながらクールにいなきゃいけないってことを痛感したよ。

その後は2008年に【Mission 45(@大阪)】に参戦して、決勝でMARSHALL LAW(※33)に負けた。
このタイミングで、自分にとっての活動のゴールはクラッシュではない、と理解した。

opinion

今でもクラッシュに挑戦したい気持ちはあるけどね。
でも、レゲエという場の中でBANTY FOOTは何をしたら生き残れるかって考えると、曲を広めたり、レゲエの良さを一般の人に伝えたり……そういうポジションのほうが、自分の特性や素質を生かしていけるんじゃないか、って事に、気付いたんだ」(後編に続く)

 

Annotation
(※1)MOOMIN/日本のレゲエシーン黎明期より活動するシンガー。
(※2)RED SPIDER/国内レゲエシーンの中核的存在である、大阪を代表するサウンドの一つ。
(※3)JAM MASSIVE/広島を代表するサウンド。
(※4)クラッシュ音源/1990年代後半に大阪で開催されたサウンドクラッシュのライヴ音源。
(※5)MIGHTY CROWN/国内レゲエシーンの中核的存在である、日本を代表するサウンド。
(※6)LION MUSIC DEN/名古屋最古のレゲエ専門レコードショップ。
(※7)ラヴァーズ/レゲエのサブジャンルの一つ。ゆったりとした曲調でシンガーが歌う楽曲群を指す。歌モノとも呼ばれる。
(※8)First DESIGN/名古屋のサウンド。
(※9)ダブ/サウンドが自分たちのためだけにアーティストに特注した曲を指す。「ダブ」「スペシャル」「仕込み」等とも呼ばれる。通常はサウンドの特性やカラーを表現するためのツールであるが、サウンドクラッシュでは、相手サウンドを直接的に攻撃する武器としても存在する。
(※10)JUNIOR/(※2)RED SPIDERのMC/セレクター。
(※11)ROCKERS ISLAND/大阪のレゲエショップ。
(※12)HAYASSEN/(※8)元First DESIGNのセレクター。現在はTOTALIZEで活動。
(※13)アーリー/アーリープレイ、アーリータイムとも呼ばれる。イベントオープン後の早い時間帯を指す。
(※14)Club RADIX/1995年~2016年にわたり東海レゲエシーンを支えた名古屋の老舗クラブ。
(※15)DIAMOND HALL/1992年にオープンした、名古屋の老舗ライブハウス。
(※16)INDEPENDENT/東京のサウンド。現在はジャマイカに拠点を移し活動。メンバーはMC/セレクターのJUNYA。
(※17)GOKI/アーティストGOKIGEN SOUND。
(※18)ファウンデーション/レゲエの新曲に対し、古い曲や名曲などを指す総称。
(※19)DIWALI/2002年に大ヒットしたリディム名。リディムとはバックトラックを指し、レゲエでは同じリディムで複数のアーティストが別の歌を歌う文化があるため、そのリディム名で一連の作品群を指す。「セグメント」とも呼ばれる。
(※20)ブランニュー/(※18)ファウンデーションに対し、新曲を指す。
(※21)10inch/レコードの規格サイズを指す。10インチ盤。レゲエでは(※9)ダブプレート音源をレコード盤にプレス(ダブカット)する際に10インチ盤を用いていた歴史がある。よりよい音質や音圧を追求したことが理由だと推測される。
(※22)ARROWS/アローズ・レコーディング・スタジオ。ダブ制作におけるジャマイカでの代表的なスタジオであり、楽曲と動画の制作設備も備える。
(※23)サウンドクラッシュ/サウンド同士が、定められたルールと時間内でレコードやダブ・プレートを使用し勝敗を決めるショー形式のプレイスタイル。
(※24)ARSENAL JAPAN/三重のサウンド。
(※25)45クラッシュ/45(フォーティファイブ)とも呼ぶ7インチレコード盤のみを用いて行われるサウンドクラッシュ。
(※26)エントリーしているサウンドは若手/通常、サウンドクラッシュでのプレイ時にサウンドが用いるのは(※9)ダブであるが、ダブを収集するのに費用が掛かるため、資金のない若手クラッシュサウンドの登竜門として45クラッシュが用いられる風潮がある事から。
(※27)ARCH/東海地方のレゲエシーンを中核で支える裏方の1人。現在は大阪のレーベル「カエルスタジオ」に所属。
(※28)Bayside Jenny/大阪にあったライブハウス。数々のビッグイベントやサウンドクラッシュが行われてきた。
(※29)OG/TOP SHOTTA OG。(※24)ARSENAL JAPANを立ち上げた本人で、メインMCを務めていた。2015年に引退。
(※30)DINGO/東京のサウンド、BURST RISEのMC/セレクター。
(※31)コントラクション/サウンドクラッシュ用語の一つで、対戦相手がプレイした曲やMCに対し、関連性を持たせた返しを行うこと。「カウンター・アクション」とも呼ばれる。
(※32)Tune Fi Tune/サウンドクラッシュ用語の一つで、1曲ごとに交互にかける延長戦。
(※33)MARSHALL LAW/横浜のサウンド。現在は解散。

 

JUN/BANTY FOOT
愛知県名古屋市出身。MC/Sel。2001年に名古屋にてBANTY FOOTを結成。レゲエシーンで着実にキャリアを築きながら、現在はラジオやCD、フェス、クラブイベントなど様々なアプローチからレゲエを広める活動を行っている。
●JUN official twitter  @BANTYFOOT
●official site BANTY FOOT
●official Facebook  BANTY FOOT
●official blog ONE STEP FORWORD

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