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【前編】TAKAFIN a.k.a BACKYAADIE―貫き続け見つけた、俺が本来、やるべきこと

2016/09/04

TAKAFIN a.k.a BACK YAADIE(大阪・Deejay/Producer)

takafin-opinion
クルー所属のDeejayとして、アーティストとして、レーベルプロデューサーとして、あらゆる実績を重ねるTAKAFINことBACK YAADIE。
シーンの中央という揺るがぬ位置に居続けながら、その実、内側にある思いとは何なのか。
ミュージシャンとしてのこれまでのストーリーと、いまの心情を尋ねた。

TAKAFIN a.k.a BACKYAADIE
大阪府出身。Deejay/Producer。MIGHTY JAM ROCKに所属しながら、ジャマイカとレゲエに沿った音楽活動を単独でも展開する。

 

レゲエミュージックをきっかけにハマりこんだ、音楽の世界

THE BOOMやボブ・マーリィから始まり、ダンスホールに出会うまで

-音楽に触れ、レゲエに出会ったきっかけを教えてください
「音楽に興味持ったのは中学生のころやったな。
当時はバンドブームで、ユニコーンやJUN SKY WALKER(S)とかがすごい流行ってたんやけど、俺はTHE BOOM(※1)が好きやってん。

当時のBOOMはちょうどボーカルの宮沢さんがレゲエやジャマイカのトピックに傾倒してた時期で、曲もレゲエやスカっぽいテイストが多くて。
そういう音楽性に惹かれてCD買ったりコンサートに行ったりしてた。

で、1992年の大阪城で開催されたコンサートに行ったんやけど、そこでBOB(※2)の[Wait in Vain]のカヴァーを演ってるのを聴いて。

この曲はいったいなんだ、と衝撃を受けたわ。曲調やメロディ展開にすごい惹かれてな。
英語で歌ってる宮沢さんの雰囲気も相まって、自分の知らなかった世界の音楽として目に映った。それでレゲエを知った。

そんで[Wait in Vain]について調べていたら、姉が[LEGEND]のテープを持ってて、あ、これやんと。それからBOBが好きになって、めっちゃ聴くようになった」
 
opinion
 
-そのまま、レゲエだけを聴き続けたのですか?
「高校に入ってからは、CDショップでSUGAR MINOTTとかを買っては聴きまくってたんやけど、途中でスカにハマって。
邦楽なら東京スカパラダイスオーケストラはライヴも行ったし、UKのザ・スペシャルズとかSELECTERとかもだいぶ聴いてたな。

それも実はBOOMから受けた影響の一つで。レゲエについて調べていくと、BOOMがスペシャルズを聴いていたとか、ギターの小林さんが、スカバンドの人が良く持ってるギターを使ってたりと、繋がっていってさ。

で、もう一人の姉が長渕剛の熱心なファンで、長渕モデルのギターを持ってて。ギターそのものにも興味を持って、当時いちばんメジャーだった音楽雑誌のGb(※3)を読んでたな。
付録についてた歌本を見て、見よう見まねでギターコードを弾いたりして」
 
-音楽の情報収集はどのように行っていたのですか?
「お金のない高校生やったし、ネットが普及してない時代やったから、音楽情報やミュージシャンについて深く知る方法は雑誌しかなかったね。
ページを隅々まで読んだし、CDも厳選した1枚を何度何度も聴き込んでた。

とにかく、情報を自分の目と耳と足で拾い集めて、好きな音楽を追求する指針にしていったなぁ。

深く知るほど好きになってな、ほんま[LEGEND]はどんだけ聴いたか……いま聴いても全然飽きひん、こんな1枚他にないで。

正味、レジェンドはレゲエミュージックの原点やと思ってる。持論やけど、この1枚からレゲエが細分化されて行ってるんちゃうかな、って思えるくらい」
 
opinion
 
-まずレゲエミュージックとスカに傾倒したのですね。クラブでかかるアングラ音楽を体験したのはいつ頃だったのでしょう?
「高校3年の頃やな。地元が一緒だったMATTSUN(※4)やJUMBO(※5)と一緒に、先輩に連れられて梅田のclub LABRISH(※6)に連れてってもらったが最初やな。
UP STAR(※7)、ROCK DESIRE(※8)とかRED PRINCE(※9)が活躍してた頃で。そこでダンスホールに出会って、一気にハマった。

薄暗い箱の中でデカくて厚い音が鳴っとって、システムがあって。DJブースでMCの人喋ってるし、体験したことない格好良い世界やったね。
クラブカルチャーのアプローチで聴かせるレゲエもあるんや、ということが驚きやったな。

当時は今のダンスよりレゲエカルチャー度が高いイベントが多くて。ほかのジャンルの音楽は一切かからんかった。7inch(※10)のジャマイカ音源が主流で、それがまた良かったな。

俺にとってダンスホールの魅力って、同じ音楽を面白がれる気の合った仲間と空間を共有することやねん。
同じ場所におることが心地よくて、時間があれば友達と連れ添ってクラブ通いしとったなぁ」
 

RIDDIM、TOKIWA crewを経て、MIGHTY JAM ROCKへ

Deejayとしてキャリアを展開する中で得てきた、自分のレゲエ観

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-クラブにハマってすぐに演者として活動し始めたんでしょうか?
「通いだしてしばらくしてから、MATTSUNとJUMBOと3人で”RIDDIM”ってクルーを組んで、レコード回したりMCしたりしててさ。

それから、自分には歌のほうが合ってるのかもしれん、って何となく思って歌い始めるようになった。歌い手っていうものが楽しそうやし格好よく見えたこともきっかけやったな。
梅田のSKY JUICE(※11)を基盤に活動していたKAMIKAZE CREWって人らにも良くしてもらって、そこで歌わせてもらうようになった。

あの頃はほんま、右も左もわからん中で勘だけで歌作って、ラバダブ(※12)に必死で入ってって、一生懸命やってたなぁ。
でもめっちゃ下手やったから歌う度に先輩らに『へたくそ、辞めてまえ』って切り捨てられて(笑)。その度になんやねん! ってムカついたけど、反発心と負けん気を糧に、上手くなったるってめっちゃ努力してきたよ。

ほんでNGくん(※13)やRYOくん(※14)との出会いを経て、1997年頃からTOKIWA(※15)として活動させてもらうようになった。

その後はROCKくん(※16)やKYARAくん(※17)、JUMBOとMIGHTY JAM ROCK(※18)を立ち上げた。その後BOXER(※19)が加入していまの形になり、現在も継続してやらせてもらってる」
 
-その間ジャマイカへもほぼ毎年通われていますが、現地から受けた影響はありましたか?
「19歳で初めてジャマイカに行ったんやけど、まずそれが俺にとって大きな転機やった。

あそこにしかない解放感や空気、人のエネルギー、ジャマイカを構成する全てがたまらんくて。
踊るのも歌うのも楽しむのも何でも全開やろ、あのパワーにくらってハマったな。衝撃受けすぎて胃が痛くなったもん(笑)。俺にとって一番のパワースポット。

あの時のバイブスは今でも自分の中で生きてんねやんな。行かなかったら今の考え方も自分自身も違ってたんちゃうかなって思う。

昔は半年から数週間やったけど、ここ数年は制作を兼ねて2週間くらい滞在する形になってる。
スタジオでミックスダウン(※20)したりオケ(※21)を作ったりしつつ、ダンス行ったり海で和んだり。いつもあっという間に過ぎるねん。

ほんとは現地に住みたかったけどな。若いうちに借金してでも実行しておけば良かったってちょっと後悔しとんねん。
だから若い子は、行けるうちに行っといたほうがええで。現地でしか得られん体感は絶対にあるからな」
 

『レゲエをやれるなら、努力も苦労も何でもできる』

エンターテイナーとしての技術の磨き方と原動力、そしてレゲエへの愛

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-どのように、演者のスキルを磨いてきたのですか?
「生まれ持った天性の才能が影響する世界やけど、俺は努力しないとダメなタイプやねん。
だから日々運動して基礎体力を保ちつつ、自分の曲やライヴを振り返って、反省点を次に生かす、の繰り返しやな。

曲を作るのには感性と情報がベースになるから、いいと思えるものをたくさん聴いてきた。
例えば本を読んで知識や言葉を貯めていくのも大事やと思う。

ステージのスキルとしては、努力して練習して場数こなして、今の形になっていったな」
 
-レゲエ特有のルールによって、やりづらかったことはありましたか?
「レゲエのルールは全く苦じゃないかな。それを知ってるから楽しめるし結束もできるし、世界観も保たれる。

韻を踏んだり、バティマン(※22)やドラッグに対しての警告があったり、それありきの世界や。
ルールひっくるめて、全部好きやからね。
好きすぎて、周りにもストイックさを望んでまうくらいや(笑)。

だから、いろんなジャンルの壁を飛び越えてレゲエを広めるとか、何かと敢えて融合してって風潮には進んで乗りたくはないかな。

人それぞれの色を生かしてやればいいと思うし、外仕事の機会を与えられたら喜んで挑戦するけど、自分発信の場合はとことんレゲエだけっていうのが好きやな」
 
opinion
 
-これまでの音楽ライフにおいて、いいことも大変なこともあったと思います。活動のモチベーションは何でしたか?
「レゲエ愛やと思う。レゲエのことで、嫌やなって思ったことないで、1ミリも。

他ジャンルのイベントで、自分と全く雰囲気の違う出演者の間で歌うこととか、喉やられてダメージ受けるとか、苦手な出来事はその時その時であるけど、辞めたいって思った事ほんま一寸もない。

大人になれば一人の人間として暮らしていく環境も変わるし、守るものが増える。
人によっては家族が増えたり、生活のペースが変わったりすることが、収入に跳ね返ってくる部分もあると思う。

そういう現実があるから、若い頃よりもっと頑張らんとあかんって自分を鼓舞したり、新しい方法を考えたり、生きる工夫をしていかんと音楽生活は送られへんこともある。

でもレゲエやから、できるねん。それはもう、愛しすぎてるからやろな。
世界観や音楽性、ルール、空気感、ジャマイカ、仲間とか、レゲエを構成するもの全部が好きやねん。

大好きなことを仕事としても生きがいとしても続けていけるのって、誰もが望んでできることやないと思うねん。
選び続けてきた俺にとって宿命やし、ほんまにギフトやと思うから、この人生において絶対無駄にできない。

適当に向き合ったらあかんし、ちゃんと感謝して楽しんで、愛していきたいと思う」
 

レゲエとダンスホールの違いの中で気付いた、自分の理想の姿

自信のない自分に迷いながら、ようやく掴んだ、歌という“強み”

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-曲を聴かせていただくと、ここ3、4年で、歌い方が変化したように感じます。声の魅力がぐっと増したように思えますが?
「なら嬉しいけどな(笑)。何というか、自分が歌えるってことに気付いた部分があるからかもしれんな。

俺は、歌唱の力や声の地力を上げて、頭の中にあるイメージをそのまま曲にしたいねん。
で、理想を形にするには、音程やキー、ピッチとか、歌を構成する細かい部分のチューニングが必要で。

鍵盤にない音で構成する曲にもいいところはあるし、録音した後にデジタル編集で理想に近づけることもできるんやけど。

後付けで理想を実現するより、もっと声をしっかりオケに乗せていこうとか、鍛えようとか、声が持つ素の力でカタチにしたい思いがあるな。

だから前より音楽的な要素を気にするようになったし、丁寧に取り組んでいきたいと思ってて。まだ力不足なとこもあるけど、徐々に掴んできた気がしてるところやねん」
 
-声のちからが増すと、表現も広がりますね。
「そうやな、声が出やすくなったし、歌モノも織り交ぜて作品を展開できるようになったな。
アコースティックライヴをやるようになったし、活動の幅は広がった。

Deejayスタイル的なしゃべりも大事やけど、歌うことも俺は好きやし、強みの一つとして仕事の幅含め広げていきたい思いはあるね」
 
opinion
 
-歌という強みも見つけ、ますます存在感を示していけると思いますが……?
「いや、そんなことないねん。今でこそいろんなところで歌わせてもらえてるけど、修業時代のほうが長かった人間やで?

正味、俺のええとこってどこやろ、ってずーっと思ってたんやで。
これまでも『俺はこれがすげぇぜ』って自信をもって言えるところは、あんまなかったしな。

俺は歌い始めたころから、人と環境と仕事にすごく恵まれてんねやんか。

NGくんやRYOくんに影響を受けてTOKIWAで一緒にやれて、指導してくれる先輩もおって。
彼らと一緒にやれてたことはほんと、運が良かったからやねん。

もちろん、メロディを掴みやすいタイプだとかキャラクターとか、自分の持ち味は理解してるで。好きこそ物の上手なれってとこもあると思う。
でももっと確固たるものを、ずっと探してんねんな。

そんな中で、レーベルを始めたことで楽器に触れ、自分の手で弾くことが増え、音階や音程について知っていく中で、自分が理想としている音楽のカタチが分かってきた。

つまりそれは、Deejayも歌も全部ひっくるめた、ミュージシャンという方向性なのかもしれんと感じて。

で、カタチを具現化する方法を探して試行錯誤するようになったら、思い描いたような曲を声に出して録音できてる気がするし、声がいいと評価してもらえる機会も増えてな。

『声は、俺の強みの一つなんや』って初めて意識することができたし、初めて、少し自信がついたんやな」
 
-では、ストリートから求められるTAKAFIN像と素の自分との間に、ギャップを感じることもあったのでは?
「うん、尖ることが演者一個人としてすごい合う人もおると思うけど、俺自身を振り返ると、昔は型にはまってたのかもしれんと感じるなぁ。
アーティストとしてのキャラと本来の自分の素質は、別のように思う。

リリック書くときも、昔との違いを自然と感じるねん。

怒りの形で綴ることより、何かを癒したり、導く存在を示したり、生き方について訴えたりっていう内容が増えた気がする。
自分では気付かんかったけど、俺はもともと、そういうものを伝えたい人間かもしれん」
 
opinion
 
-これまでは自分を生かしきれていなかった、ということでしょうか。
「俺、ジャマイカに行くようになってから、レゲエとダンスホールは異なるものやと認識するようになっててん。

レゲエという大きな世界があり、世界を保ついくつかのルールがあり、その中でダンスホールという音楽ジャンルが生きる場面がある。
ダンスホールは“仲間と遊びながら音楽が鳴る空間にいること”って概念に近くて、音楽性はもちろん、歴史も曲の作り方も違う。

ひっくるめて全部がレゲエミュージックやねんけど、最近は、その大きなレゲエの世界で自分を生かしたい、と思うことが増えたんやな。

音楽から受けてきたインスピレーションや得てきた感情を反映する場として考えた時に、ダンスホールだけより、レゲエ全体のカルチャーや音楽観のほうが自分に合う感じがするねんな。

それこそ俺が本来、やるべきことのように感じてるわ」(後編に続く)

 

 

Annotation
(※1)THE BOOM…1986年に結成された日本のロックバンド。
(※2)BOB…ボブ・マーリィの略称。
(※3)Gb…ギターブック。バンドブーム時代の音楽雑誌。
(※4)MATTSUN…大阪を拠点とするイベンター、REALTHING ENT.所属のALTO DE MILO。
(※5)JUMBO…JUMBO MAATCH。MIGHTY JAM ROCK所属のDeejay。
(※6)club LABRISH…80年代から大阪レゲエシーンの拠点の一つとして台頭したクラブ。現在は閉店。
(※7)UP STAR…大阪のサウンド。
(※8)ROCK DESIRE…大阪のサウンド。
(※9)RED PRINCE…大阪のサウンド。
(※10)7inch…レコードの規格サイズを指し、シングル盤に相当する。シングル曲をリリースする風土があったレゲエミュージックでは、7インチレコードが主に流通したことから、7インチ盤=レゲエのイメージが定着していた。
(※11)SKY JUICE…80年代から大阪レゲエシーンの拠点の一つとして台頭したクラブ。現在は閉店。
(※12)ラバダブ…Rub a dub。インストゥメンタルに乗せてアーティストが即興で歌を歌いあうパフォーマンス。
(※13)NGくん…NG HEAD。日本を代表するレゲエアーティストの一人。
(※14)RYOくん…RYO the SKYWALKER。日本を代表するレゲエアーティストの一人。
(※15)TOKIWA…大阪のTOKIWA crew。かつて、NG HEAD、RYO THE SKYWALKER、PUSHIM、JUMBO MATTCH、TAKAFIN、BOXER KIDが所属していた。現在は解散。
(※16)ROCK君…MIGHTY JAM ROCKのselector。
(※17)KYARA君…MIGHTY JAM ROCKのMC/selector。
(※18)MIGHTY JAM ROCK…ROCK、KYARAのSound2人と、JUMBO MATTCH、TAKAFIN、BOXER KIDらDeejay3人(JTB)からなるクルー。レゲエフェス”HIGHEST mountain”の主宰者。
(※19)BOXER…BOXER KID。MIGHTY JAM ROCK所属のDeejay。
(※20)ミックスダウン…楽曲レコーディングの際、仕上がった楽曲の全体バランスを調整する作業を指す。トラックダウンとも呼ばれる。
(※22)オケ…楽曲のバックトラックで、インストゥメンタルを指す。リディムやトラックとも呼ばれる。
(※22)バティマン…レゲエ用語の一つで、同性愛者を指す。レゲエカルチャーでは同性愛者の恋愛を忌むべきものとして扱う。

 

Release Information

Good to be good
MIGHTY JAM ROCK 15th full aubum
[Good to be good]
2016/8/31 on release!
 

TAKAFIN a.k.a BACKYAADIE
大阪府出身。Deejay/Producer。MIGHTY JAM ROCKに所属しながら、ジャマイカとレゲエに沿った音楽活動を単独でも展開する。
●TAKAFIN official twitter  @MJR_Takafin
●official instagram ragga_takafin
●official blog TAKAFIN blog
●MIGHTY JAM ROCK official site MIGHTY JAM ROCK

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